2010年08月17日
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北沢川探索・不明の細長い土地を発見等

Written By: 川俣 晶連絡先

 上北沢自動車学校北部の探索に行ってきました。

 今回の探索の目的は2つあります。

  • Google Mapsの航空写真で発見した謎の細長い土地の確認
  • 前回の時に発見した細長い土地が水路跡とほぼ確定できたので、その確認

 というわけで、まずは全体図の地図を。


より大きな地図で 20100816メモ を表示

 個々のトピックを以下に説明します。

Google Mapsの航空写真で発見した謎の細長い土地 §

 図中の赤線です。ここは、フェンスで立ち入り禁止になった細長い土地ですが、存在意義が良く分かりません。パターンから行けば水路跡なのですが、実際に行って見てみると手前よりも土地が高く、前後に水路の続きを想定できません。謎の土地です。goo地図の昭和22年の航空写真と照らし合わせてもここが水路であったとは思えません。

前回の時に発見した細長い土地 §

 青線です。全体を歩きました。ここはおそらく水路跡として確定して良さそうです。更に延長線を地図を参考に入れてみたのが黄色戦と緑線です。

感想 §

 水色が昔の典型的な散歩径路の1つで、この周辺を何回も歩いていたことが良く分かります。それなのに、これほど見落としていたとは。あらためて驚愕です。そのまま、松沢病院の敷地を西回りで八幡山駅まで抜けて電車で帰ってきました。

残された問題 §

 緑線がgoo地図の昭和22年航空写真準拠。黄色線が世田谷古地図昭和4/14/30年準拠です。しかし、両者は決定的に違います。昭和22年は、昭和4年-昭和30年の期間中であるにも関わらず違います。

 実はこの問題は、「地図が間違っている」という可能性を示唆します。地図を作ったときの状況がそのまま数十年後にも渡って載り続けていたのではないか、ということです。実際、昭和初期から終戦直後になると古い地図を修正して使っているから、あるはずの施設がなかったり、もう無いはずの施設があったり、戦時改描されていたり、終戦後の地図のはずが戦前の状況がばっちり分かったり、それはもう混乱の極みです。昭和30年の地図もまだそういう混乱の渦中にあったということも考えられます。もちろん、同じ意味で戦前の昭和4年、14年も信用できません。水路など、地元民は知っているから地図をあらためて見ないし、よそ者は水路の有無で困ることもないので問題にしないから、そのまま残ってしまったのかも。

 とすると、実は地図資料をベースにした研究は違う可能性があり、根拠として本当に役立つのは空中写真だけということになり、戦前は『昭和八年「大東京鳥瞰写真地図」(復刻版)』に期待するしかないのかなあ。(下高井戸までは含まれていることを確認してある)。しかし、とても買えない値段だし、現物を見るには都立中央図書館まで行かないと無理か。

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